<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248</id><updated>2012-02-17T10:05:09.299+09:00</updated><title type='text'>小栗康平・内山 節の往復書簡</title><subtitle type='html'>このブログは、映画監督 小栗康平と哲学者 内山 節による「往復書簡」です。
映画の場から、哲学の場から、インターネットを介し、二人の意見を交換していきます。</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>小栗康平</name><uri>http://www.blogger.com/profile/10125828058324568361</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/oguri.jpg'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>10</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-1610388644467554887</id><published>2007-08-16T11:33:00.000+09:00</published><updated>2007-08-16T11:34:56.259+09:00</updated><title type='text'>小栗康平様　&lt;5&gt;</title><summary type='text'>　今回の群馬知事選は残念な結果でしたが、とりあえずこの結果を受け止めておこうと思います。というのは、私は議会制民主主義とか選挙によって代表を選ぶという方法がベストのものとは思っていないのですが、選挙制度のものでの候補を応援した以上、選挙制度が持つ虚構をも受け入れるしかないと思っているからです。その虚構とは選挙民はつねに正しい判断をする、という虚構ですが、それを受け入れることが、選挙に参加した以上必要になると考えています。　ただしそのことと、これからどうするかということは別のことです。私がまず第一にしなければならないことは、県民参加型の群馬の行政のあり方を維持すること、つまり小寺県政時代の遺産を守ることです。それが行政との関係ではできないことになるなら、NPO的にそれを推進する仕組みを創ることだと考えています。近くお会いして相談しましょう。　参院選をみて、日本の伝統に安倍政権は敗北した、</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/1610388644467554887'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/1610388644467554887'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/08/blog-post.html' title='小栗康平様　&lt;5&gt;'/><author><name>内山　節</name><uri>http://www.blogger.com/profile/14035162649560758533</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/uchiyama.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-5380268177050777536</id><published>2007-07-31T21:11:00.000+09:00</published><updated>2007-07-31T21:13:12.020+09:00</updated><title type='text'>内山　節様　&lt;5&gt;</title><summary type='text'>　すっかりご無沙汰してしまいました。前回お手紙をいただいてから今日まで、群馬県知事選挙と参議院選挙の二つがありました。参議院選挙では自民党が大敗したにもかかわらず、そのわずか一週間前に行われた群馬県の知事選挙では、自民党公認候補に小寺さんが敗れてしまいました。群馬では参院選でも自民党候補が例外的に無風なまま小選挙区を制したのですから、群馬の保守王国は変わらなかったということでしょうか。しかし多少なりとも近くで小寺さんを見てきた私には、ただ単純にそう括ってしまってはなにもとらえたことにはならないと思っています。　知事選は保守の分裂選挙だといわれました。問題はその保守の意味する中味です。国政選挙でも無党派層がこんなにもいるなどと、いかにも嘆かわしいことのようにいわれますが、どの党であれ、党員よりは党には属さない人々の方が圧倒的多数です。政党選挙でしか行えない国政の選挙では、そのつど、やむなく</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/5380268177050777536'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/5380268177050777536'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/07/blog-post_31.html' title='内山　節様　&lt;5&gt;'/><author><name>小栗康平</name><uri>http://www.blogger.com/profile/10125828058324568361</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/oguri.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-2613029455334768305</id><published>2007-07-16T15:45:00.000+09:00</published><updated>2007-07-16T15:47:12.070+09:00</updated><title type='text'>小栗康平様　&lt;4&gt;</title><summary type='text'>　小栗さんとの「交換日記」は、いうまでもないことですが、パソコンで書いています。手書きのものを載せることもできるかもしれないけれど、その場合もPDFファイル化するなど、パソコンのお世話にならなければならないでしょう。　私は普段の原稿は手書きです。結構新しもの好きなので、昔からワープロ、パソコンは使っているのですが、文章のリズム感が手書きとは違ってくるのが嫌なのです。　さてこんなことを書いたのは、最近手段が選択できなくなりつつあると感じているからなのです。今日では目的は案外多様になっているような気がします。ところが、手段が硬直している。たとえば企業に属さずに働き、生きていきたいと考える若者はいまではたくさんいます。そういう選択を生み出す背景にはいろいろな気持ちが動いています。しかし企業に属さないという選択をした瞬間に、都市社会が用意している手段はほとんどフリーターだけになってしまう。　この</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/2613029455334768305'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/2613029455334768305'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/07/blog-post_16.html' title='小栗康平様　&lt;4&gt;'/><author><name>内山　節</name><uri>http://www.blogger.com/profile/14035162649560758533</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/uchiyama.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-7362203796590705986</id><published>2007-07-05T08:48:00.000+09:00</published><updated>2007-07-06T08:50:58.720+09:00</updated><title type='text'>内山　節様　&lt;4&gt;</title><summary type='text'>　久間防衛大臣の「辞任」のニュースを聞いたとき、ちょうどマイケル・オンダーチェの「イギリス人の患者」という小説を読み終えたところでした。英語でいえば「イングリッシュ・ペーシェント」。十年ほど前に映画になって、アメリカ・アカデミー賞の作品賞をとっています。私は映画も見ていなかったので、すぐにDVDを借りにいきました。小説の最後近くで、主人公ではありませんが、主たる登場人物のうちの一人、インド人の工兵で地雷の処理を専門とするキップという男が、唐突と思えるほど突然に、仕事も恋人もすべてを捨てて去っていきます。鉱石ラジオで広島、長崎の原爆を知ったからです。他の人物の、そのことに対する反応は描かれていませんが、オンダーチェはスリランカ生まれの作家です。映画にこのエピソードはあるだろうかと確かめたくなったからです。でも予想した通りでした。触れてもいません。　原爆投下に、白人種の、有色人種への蔑視</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/7362203796590705986'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/7362203796590705986'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/07/blog-post.html' title='内山　節様　&lt;4&gt;'/><author><name>小栗康平</name><uri>http://www.blogger.com/profile/10125828058324568361</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/oguri.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-5338400722671160961</id><published>2007-06-24T16:22:00.000+09:00</published><updated>2007-06-24T16:26:07.012+09:00</updated><title type='text'>小栗康平様　&lt;3&gt;</title><summary type='text'>　上海は暑そうですね。水あたりなどしませんように。　　近代の思想にはふたつの傾向があると私は思っています。ひとつは民衆に絶望しいく傾向、つまり結局は民衆は駄目だったと考えていく傾向です。もうひとつは現実にはいろいろあっても最後は民衆は信頼できると考える傾向で、このふたつの間でたえず揺れ動いてきたのが全体としての近代思想でした。この絶望への誘惑を断ち切っていくとき思想は健全だったと私は思っているのですが、今日のテレビや映画にみられる一般的な傾向は、絶望でもないし、信頼でもないように感じます。いわば観客を消費者としてみているもので、消費者に受けるものをつくっているうちに、その消費者からも飽きられているのが、今日のテレビかもしれません。　ここに多数派をつかもうとする者の落とし穴があるように思っています。　民衆を信頼するとは、民衆を信頼する物語のなかに自分を置く、ということのように思います。私</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/5338400722671160961'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/5338400722671160961'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/06/blog-post_24.html' title='小栗康平様　&lt;3&gt;'/><author><name>内山　節</name><uri>http://www.blogger.com/profile/14035162649560758533</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/uchiyama.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-2049468748126341674</id><published>2007-06-22T12:31:00.000+09:00</published><updated>2007-06-22T12:34:34.724+09:00</updated><title type='text'>内山　節様　&lt;3&gt;</title><summary type='text'>　今回は私の返信が遅れてしまいました。国際映画祭のコンペティションの審査で、十五日から上海に来ています。ふだん、あまり映画を見ているほうではないので、こうした機会はありがたいといえばありがたいものです。まとめて見ると、世界で映画がどのようにとらえられているのか、それなりに感じるものがあるからです。　前回のお手紙で内山さんは、日本のテレビの、あまりにもひどい現状を指摘されていました。テレビというメディアは、どこの国でもニュースキャスターの報道番組、ワイドショー、スポーツ、お笑いや歌謡のエンターテイメントと、やっていることはそれほど変わっているとは思えませんが、ここまで無批判に繰り返され、その中身が以前に増してさらに貧しいものになっていくのは耐え難いことですね。そう感じている人は少なからずいるはずなのですが、テレビとはもともとこんなものだとあきらめてしまうのでしょうか、視聴の傾向は大きく変</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/2049468748126341674'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/2049468748126341674'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/06/blog-post_22.html' title='内山　節様　&lt;3&gt;'/><author><name>小栗康平</name><uri>http://www.blogger.com/profile/10125828058324568361</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/oguri.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-452311096095413977</id><published>2007-06-08T15:30:00.000+09:00</published><updated>2007-06-08T15:32:41.474+09:00</updated><title type='text'>小栗康平様　&lt;2&gt;</title><summary type='text'>　今回も返事が遅くなりました。このところ、困ったスケジュールなのです。　竹内静子か゜亡くなったとき、私は、自然とともに暮らした日本の民衆の送り方ですべてをおこないたいと思いました。でもそれは難しいものですね。位牌は「竹内静子の精霊」としましたが、精霊とは肉体の制約から自由になった魂、という意味です。しかし、そもそも位牌とは鎌倉時代に臨済宗の中国から来た僧侶が持ち込んだもので、儒教の先祖供養を仏教に取り込んだものです。臨済禅は儒教色の強い仏教だと私は思っているのですが、この位牌が次第に広がり、江戸時代に一般化したのです。この過程では仏教が積極的に先祖供養をしていく変化があり、江戸時代に幕府の命令でつくられた寺檀制度がそれを後押ししました。幕府の基本思想は儒教ですから、家単位で民衆に先祖供養をさせようとしたのです。もっとも本来の儒教なら家ではなく、一族単位のはずですが。この過程でやはり</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/452311096095413977'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/452311096095413977'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/06/blog-post.html' title='小栗康平様　&lt;2&gt;'/><author><name>内山　節</name><uri>http://www.blogger.com/profile/14035162649560758533</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/uchiyama.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-1492589684659861227</id><published>2007-05-29T15:20:00.000+09:00</published><updated>2007-05-29T15:26:12.877+09:00</updated><title type='text'>内山　節様　&lt;2&gt;</title><summary type='text'>　内山さんが先週くださった返信で、竹内静子さんのことにも触れられていたので、竹内さんの「お別れの会」で感じたことをお伝えしたくなりました。多くの出席者がそうであったように私も、内山さんが竹内さんとごいっしょに暮らしておられたことを知りませんでした。ですから集まったみなさんが口にされたことは、お別れというより、お二人がそうであったことの驚き、そしてお二人への祝福でした。私は終始、不思議な感慨にとらわれていました。もしなにも事情を知らない人がこの宴席の様子を見たとしたら、お別れなのではなく、むつまじい小さな結婚の披露の宴だと思われたでしょう。あるいは内山さんにもそんな思いがあったのだろうかと、帰途、思ったものでした。　韓国では、未婚のまま若い人が亡くなると、同じように亡くなった人を探して、死者と死者とを婚姻させるそうです。そのための披露も行い、以後、両家はじっさいにも親戚づきあいを続</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/1492589684659861227'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/1492589684659861227'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/05/2.html' title='内山　節様　&lt;2&gt;'/><author><name>小栗康平</name><uri>http://www.blogger.com/profile/10125828058324568361</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/oguri.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-1746717614007488510</id><published>2007-05-21T10:44:00.000+09:00</published><updated>2007-05-21T10:51:12.009+09:00</updated><title type='text'>小栗　康平様</title><summary type='text'>　この数日、スケジュール的には少々苦しい日々を送っていました。ご返事が遅れたこと、お許し下さい。　小栗さんとお付き合いを始めたのは２０世紀が終わりに近づいている頃だったように思います。２００１年に群馬で開かれた「国民文化祭」を小栗さんが総監督、私が総合プロデューサーで開催することになって以来ですね。　群馬県上野村の私の家にはＤＶＤが６～７百枚あります。子どもの頃に観ていたチャンバラ映画を含めれば、結構映画を観てきたのです。以前にある編集者から「黒澤明論を書かないか」とすすめられたことがあります。「僕が書くとひどいものになるよ」といったのを覚えています。その頃までにつくられた黒沢映画は全部観ていたのですが、天才的な監督であることは認めていても、私は黒沢映画に流れている思想が好きではありませんでした。「あの人の思想は西洋かぶれだから」と言ったのも覚えています。自立した個人が彼の理想なのです。</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/1746717614007488510'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/1746717614007488510'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/05/blog-post_21.html' title='小栗　康平様'/><author><name>内山　節</name><uri>http://www.blogger.com/profile/14035162649560758533</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/uchiyama.jpg'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-3206903677966761248.post-5437394673312582651</id><published>2007-05-14T19:57:00.000+09:00</published><updated>2007-05-14T21:24:35.672+09:00</updated><title type='text'>内山　節様</title><summary type='text'>　内山さんが、昨年亡くなられた竹内静子さんと交わした往復書簡「思想としての労働」から、私は多くのことを学んできました。この近代社会がかかえたさまざまな限界をどう乗り越えていくのかという示唆に富んでいて、他の著作とともに読む者を触発してくれます。竹内さんへのお手紙は「この社会は、無限に拡大しつづける経済を基礎にして、近代的市民としての人間と国民国家を基盤にしながら形成されてきました。」「ところが現在の私たちは、このいずれに対しても懐疑的なのです。」と始められています。私には書簡の全容を概説することはできませんが、近代的な個人としてとらえようとしてきた私たち自身を、さまざまな関係性のなかでもう一度とらえなおそうとする考え方が一貫していて、共感を覚えます。労働の過程そのものに蓄積されてきた技術の受け継ぎという関係、あるいは自然の循環に位置づけられる人間の関係性、古いものとして切り捨ててきた</summary><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/5437394673312582651'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/3206903677966761248/posts/default/5437394673312582651'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://oguri-uchiyama.blogspot.com/2007/05/blog-post.html' title='内山　節様'/><author><name>小栗康平</name><uri>http://www.blogger.com/profile/10125828058324568361</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='32' src='http://www.oguri.info//Blogger/oguri.jpg'/></author></entry></feed>
