小栗康平様 <5>
今回の群馬知事選は残念な結果でしたが、とりあえずこの結果を受け止めておこうと思います。というのは、私は議会制民主主義とか選挙によって代表を選ぶという方法がベストのものとは思っていないのですが、選挙制度のものでの候補を応援した以上、選挙制度が持つ虚構をも受け入れるしかないと思っているからです。その虚構とは選挙民はつねに正しい判断をする、という虚構ですが、それを受け入れることが、選挙に参加した以上必要になると考えています。
ただしそのことと、これからどうするかということは別のことです。私がまず第一にしなければならないことは、県民参加型の群馬の行政のあり方を維持すること、つまり小寺県政時代の遺産を守ることです。それが行政との関係ではできないことになるなら、NPO的にそれを推進する仕組みを創ることだと考えています。近くお会いして相談しましょう。
参院選をみて、日本の伝統に安倍政権は敗北した、という感想を持ちました。日本の民衆史をみると民衆は自分たちの世界をつくって、ときの権力とは適当によい関係をつくっておくという行動をとってきたという気がします。たとえば村という共同体を自分たちの聖域としてつくり、それを守るためにときの権力とはまずまずよい関係をつくっておく。戦後の日本では共同体は弱体化しましたが、企業という疑似共同体をつくり、そこで生きるためにやはりときの権力とはよい関係にしておくというかたちが成立していました。そのとき忘れてはならないことは、自分たちが生きる「共同体」に権力が手を突っ込んできて、「共同体」が維持できなくなったときは、一揆を起こすなどの闘いを辞さなかったことです。権力が自分たちの聖域に手を突っ込まない限り現状維持的なのですが、この暗黙のルールが崩されたときはおとなしくしてはいなかったのです。現代とはどのような領域でも自分たちの聖域が守れなくなった時代です。小泉改革以降、政治が自分たちの世界に手を突っ込んできたのです。村が守れなくなり、企業とともにあった疑似聖域も自分たちが安心して生きていく世界ではなくなってしまった。こうなれば人々は一揆を選択するのであり、その最初のかたちが今回の選挙だったように思います。私が伝統に敗北したというのはそういう意味です。
今日は上野村にいます。とても暑い一日でした。今年は蜂の当たり年らしく、そこらじゅうに巣をつくっています。私は蜂も大事にしているのですが、その気持ちは蜂には通じていないのか、おとといは五カ所も刺されてしまいました。ということで、腫れ上がった左手も使って、この文章を書いています。蜂に厳しく文句を言ったせいか、今日の蜂はなにかしょんぼりしていて、近くに行ってもひっそりしています。左手の腫れが引いた頃にでも、一度お会いしましょう。