2007年8月16日木曜日

小栗康平様 <5>

 今回の群馬知事選は残念な結果でしたが、とりあえずこの結果を受け止めておこうと思います。というのは、私は議会制民主主義とか選挙によって代表を選ぶという方法がベストのものとは思っていないのですが、選挙制度のものでの候補を応援した以上、選挙制度が持つ虚構をも受け入れるしかないと思っているからです。その虚構とは選挙民はつねに正しい判断をする、という虚構ですが、それを受け入れることが、選挙に参加した以上必要になると考えています。
 ただしそのことと、これからどうするかということは別のことです。私がまず第一にしなければならないことは、県民参加型の群馬の行政のあり方を維持すること、つまり小寺県政時代の遺産を守ることです。それが行政との関係ではできないことになるなら、NPO的にそれを推進する仕組みを創ることだと考えています。近くお会いして相談しましょう。
 参院選をみて、日本の伝統に安倍政権は敗北した、という感想を持ちました。日本の民衆史をみると民衆は自分たちの世界をつくって、ときの権力とは適当によい関係をつくっておくという行動をとってきたという気がします。たとえば村という共同体を自分たちの聖域としてつくり、それを守るためにときの権力とはまずまずよい関係をつくっておく。戦後の日本では共同体は弱体化しましたが、企業という疑似共同体をつくり、そこで生きるためにやはりときの権力とはよい関係にしておくというかたちが成立していました。そのとき忘れてはならないことは、自分たちが生きる「共同体」に権力が手を突っ込んできて、「共同体」が維持できなくなったときは、一揆を起こすなどの闘いを辞さなかったことです。権力が自分たちの聖域に手を突っ込まない限り現状維持的なのですが、この暗黙のルールが崩されたときはおとなしくしてはいなかったのです。現代とはどのような領域でも自分たちの聖域が守れなくなった時代です。小泉改革以降、政治が自分たちの世界に手を突っ込んできたのです。村が守れなくなり、企業とともにあった疑似聖域も自分たちが安心して生きていく世界ではなくなってしまった。こうなれば人々は一揆を選択するのであり、その最初のかたちが今回の選挙だったように思います。私が伝統に敗北したというのはそういう意味です。
 今日は上野村にいます。とても暑い一日でした。今年は蜂の当たり年らしく、そこらじゅうに巣をつくっています。私は蜂も大事にしているのですが、その気持ちは蜂には通じていないのか、おとといは五カ所も刺されてしまいました。ということで、腫れ上がった左手も使って、この文章を書いています。蜂に厳しく文句を言ったせいか、今日の蜂はなにかしょんぼりしていて、近くに行ってもひっそりしています。左手の腫れが引いた頃にでも、一度お会いしましょう。

2007年7月31日火曜日

内山 節様 <5>

 すっかりご無沙汰してしまいました。前回お手紙をいただいてから今日まで、群馬県知事選挙と参議院選挙の二つがありました。参議院選挙では自民党が大敗したにもかかわらず、そのわずか一週間前に行われた群馬県の知事選挙では、自民党公認候補に小寺さんが敗れてしまいました。群馬では参院選でも自民党候補が例外的に無風なまま小選挙区を制したのですから、群馬の保守王国は変わらなかったということでしょうか。しかし多少なりとも近くで小寺さんを見てきた私には、ただ単純にそう括ってしまってはなにもとらえたことにはならないと思っています。

 知事選は保守の分裂選挙だといわれました。問題はその保守の意味する中味です。国政選挙でも無党派層がこんなにもいるなどと、いかにも嘆かわしいことのようにいわれますが、どの党であれ、党員よりは党には属さない人々の方が圧倒的多数です。政党選挙でしか行えない国政の選挙では、そのつど、やむなく支持する政党を選択しているというのが実情ではないでしょうか。地方自治はかならずしもこうした仕組みに縛られるものではありません。むしろ国政とは異なる積み上げがあって初めて、地域の自治が成り立つはずです。もちろんその前提として形ばかりの分権ではなく、税の権限委譲を含めた制度変更が欠かせませんが、少なくても小寺さんは自治のあり方について模索をしつづけてきた人ではありました。そのことのじっさいを伝えられず、受け止められず、ただ保守の分裂というレベルでとらえられてしまったことに、敗因があったと私は考えています。多選批判があったことは事実ですが、そんなことは承知していたことで、他の候補を見ればもう一期、やらざるをえなかったことだけは明白だったのですから、残念です。

 国政で自民党が歴史的な大敗をしたとはいっても、つぎの時代に向けてあたらしい想像力が芽生えているようには思われません。暮らしにしても仕事にしても、政治がいつも上位の概念としてあるわけではありませんから、まだまだやれることはあるはずなのですが。

2007年7月16日月曜日

小栗康平様 <4>

 小栗さんとの「交換日記」は、いうまでもないことですが、パソコンで書いています。手書きのものを載せることもできるかもしれないけれど、その場合もPDFファイル化するなど、パソコンのお世話にならなければならないでしょう。
 私は普段の原稿は手書きです。結構新しもの好きなので、昔からワープロ、パソコンは使っているのですが、文章のリズム感が手書きとは違ってくるのが嫌なのです。
 さてこんなことを書いたのは、最近手段が選択できなくなりつつあると感じているからなのです。今日では目的は案外多様になっているような気がします。ところが、手段が硬直している。たとえば企業に属さずに働き、生きていきたいと考える若者はいまではたくさんいます。そういう選択を生み出す背景にはいろいろな気持ちが動いています。しかし企業に属さないという選択をした瞬間に、都市社会が用意している手段はほとんどフリーターだけになってしまう。
 この不自由さを一番感じるのが「政治」である、と思っています。政治への参加の仕方は多様にあるはずなのに、現実には、多くの人にとっては、投票という方法によってしか参加できない。人々のいろいろな気持ちが、手段のところでは一元化されてしまうのです。ブログで表現することは様々でも、手段はパソコンかミニパソコン的機能をもった携帯に一元化されるように。
 こんなふうに考えていくと、自由にやりなさいといいながら、その手段はしっかり管理されている社会、それが現代社会ではないかという気がしてきます。
 私は小寺知事と自民党の関係が緊迫したのもこのことと関係があると思っています。自由におやりなさい、しかし行政のもつ手段はしっかり管理させていただきます、というのが自民党のとってきた態度ではないかと。特に群馬では小寺知事が住民参加型の行政を促進し、行政がもつ手段そのものを改革してきたことによって、つまり手段に多様性をつくろうとしたことが、現代の体制を維持しようとする者に危機感を抱かせたのではないかと思います。
 手段が管理されているためにそのシステムから抜け出せない社会、この手段管理型社会が現代なのでしょう。そこに現代の鬱陶しさがある。だから私は小寺知事が「小さな自治」を提唱したときそれを支持しました。「小さな自治」とは「小学校の学区単位くらいで成立する住民自治組織を創造する」課題として提起されましたが、行政のもつ手段を住民に開放してしまおうという試みでした。
 広島、長崎への原爆投下は、戦後の世界システムの手段はアメリカが管理する、というメッセージでもありました。そして、だからこそ、国家の政治の手段は自分たちが管理するというかたちで存在してきた政治家からは、「うかつな本音」もでてくるのでしょう。
 一部の宗教も手段を管理することによって成立しました。「神に懺悔する」というのも手段の管理でしょう。社会学者のマックス・ウエーバーは、自分の仕事を天職ととらえるプロテスタンティズムの精神が資本主義の基盤をつくったと書いていますが、天職として自分の仕事に専念することによって神に招請されるというなら、ここにも手段の管理があります。しかしそれが宗教のすべてではないと私は思っています。たとえば「悟り」を開いていくための手段は自由な宗教もあるのですから。
 手段が自由な社会は可能か、という問題意識を最近の私は抱いています。

2007年7月5日木曜日

内山 節様 <4>

 久間防衛大臣の「辞任」のニュースを聞いたとき、ちょうどマイケル・オンダーチェの「イギリス人の患者」という小説を読み終えたところでした。英語でいえば「イングリッシュ・ペーシェント」。十年ほど前に映画になって、アメリカ・アカデミー賞の作品賞をとっています。私は映画も見ていなかったので、すぐにDVDを借りにいきました。小説の最後近くで、主人公ではありませんが、主たる登場人物のうちの一人、インド人の工兵で地雷の処理を専門とするキップという男が、唐突と思えるほど突然に、仕事も恋人もすべてを捨てて去っていきます。鉱石ラジオで広島、長崎の原爆を知ったからです。他の人物の、そのことに対する反応は描かれていませんが、オンダーチェはスリランカ生まれの作家です。映画にこのエピソードはあるだろうかと確かめたくなったからです。でも予想した通りでした。触れてもいません。
 原爆投下に、白人種の、有色人種への蔑視があったのかどうか、は私には分かりません。しかし日本がアメリカとは宗教を異にする国であったことは、投下の前提として考えられることです。人類が大きな過ちを犯すときに、いつも宗教が顔をのぞかせます。久間大臣の「しかだがない」発言は、不適切だったなどという以前に、人間観においてなんの深さもない人物が、国政の、それも軍事を担当するというおそろしい現実を見せられた気になりました。しかも、辞任の理由はただひたすら参議院選挙にマイナスになるのでという一点でしたから、開いた口もふさがりません。
 今日告示された群馬県知事選挙では、自民党の「公認候補」が小寺さんの対抗馬の一人として立っています。群馬県は長い間、保守王国として君臨してきました。小寺さんは知事三期目まではこの圧倒的な多数を与党として、独自な施策を展開してきました。私がかかわった映画「眠る男」の製作もその一つでした。当時の県議会は全会一致でこれを承認しています。私は小寺さんの、手だれでない、非政治的な手法が奇跡的にも機能していた時期だったと思っています。ところが四期目から副知事の人事案件を自民党県議団が否決してから事情が一変しました。このあたりの事情は、内山さんもよくご存知のところです。表面的には人事の案件でしたが、根底にあるのは次の政権を自民党がよかれとしていた人物に渡しなさいという申し出でもあったのです。この強引なやり口は四期目の選挙のときにすでに画策されていたことでした。多選批判を金科玉条として、いかにももっともらしい批判を展開する人たちもおりますけれど、今度の選挙は初めてのそれといってもいいほどのもので、はっきりと自民党と対立して県政を担おうとする、一期目ともいえるものです。悪いのは群馬県の自民党で、そのつまらない権力構造が問題なのであって、自民党そのものではないとする考えもなくはないでしょうが、少なくても地方分権をいうのであれば、自治は中央組織から離れなくてはなりません。今度の知事選の帰趨を注視したいと思っています。
 オンダーチェの小説はおもしろかったです。大戦末期のアフリカ、イタリアを舞台として、時制がめまぐるしく変わるものですから、描写の細部が積み重なって物語をつくるというよりも、むしろ分散されて直線的には進まないこと、そのものを楽しむような小説でした。言葉は現在形でも過去形でも、外部の描写でも内面の描写でも、それらはみな語られ、表記されるものです。映画はそれができません。現在形だけしかありません。回想シーンも映画の中では、回想としての現在です。アンソニー・ミンゲラー監督、脚本の「イングリッシュ・ペイシェント」はよくできた映画でした。画像もよく撮られていましたし、折り目正しい映画ではありました。でも、私たちは映画で、人間のなにを見たいと思っているのか、人間のどういう状態を画像として見たいと思っているのか、といった根本にかかわる問いにおいて、私には不満足でした。内山さんのおっしゃる「消費」を超えて、映画がどのように成立していくのか、ますます難しくなってきているように思われてなりません。

2007年6月24日日曜日

小栗康平様 <3>

 上海は暑そうですね。水あたりなどしませんように。 
 近代の思想にはふたつの傾向があると私は思っています。ひとつは民衆に絶望しいく傾向、つまり結局は民衆は駄目だったと考えていく傾向です。もうひとつは現実にはいろいろあっても最後は民衆は信頼できると考える傾向で、このふたつの間でたえず揺れ動いてきたのが全体としての近代思想でした。この絶望への誘惑を断ち切っていくとき思想は健全だったと私は思っているのですが、今日のテレビや映画にみられる一般的な傾向は、絶望でもないし、信頼でもないように感じます。いわば観客を消費者としてみているもので、消費者に受けるものをつくっているうちに、その消費者からも飽きられているのが、今日のテレビかもしれません。
 ここに多数派をつかもうとする者の落とし穴があるように思っています。
 民衆を信頼するとは、民衆を信頼する物語のなかに自分を置く、ということのように思います。私たちは民衆のすべてがわかるわけではなく、また民衆をひとつのものにしてしまうこと自体が不遜なことです。ですからこれは、信頼という価値判断をしているようで実は価値判断ではなく、信頼という物語のなかに自分をおいているだけなのです。私はそのことを大事にしたいのですが、この物語が破綻していくとき現れてくるのが絶望なのですから、民衆への絶望とは、実は、自分の描いた物語への絶望なのです。
 民衆を消費者としてみる視点にはそのどちらもがありません。あるのは民衆への侮蔑と迎合だけでしょう。
 選挙は多数派をつかまなければなりません。今日の自民党がしていることをみると、まさに民衆への侮蔑と迎合だけで、しかもそのシナリオまでが破綻しているのですから、あきれてしまいます。
 私が小寺さんを好きなのは、小寺さんはいつも自分の物語を語っていたように感じるからです。平和の物語、地域自治の物語、群馬の物語、・・・・・。群馬の民衆がつくる群馬の物語です。その中に自分を置いて知事としての仕事をしてきたように感じます。小栗さんが本気で知事選に参加しようとしているのも、おそらくそういうことがあるからでしょう。
 この消費社会のなかで、人間を消費者としてみないといことはむずかしいものです。しかしそれだけは拒否しつづけたいものでもあるのです。映画の世界でそれを拒否してきた小栗さんに敬意を表しつつ。