2007年5月21日月曜日

小栗 康平様

 この数日、スケジュール的には少々苦しい日々を送っていました。ご返事が遅れたこと、お許し下さい。

 小栗さんとお付き合いを始めたのは20世紀が終わりに近づいている頃だったように思います。2001年に群馬で開かれた「国民文化祭」を小栗さんが総監督、私が総合プロデューサーで開催することになって以来ですね。

 群馬県上野村の私の家にはDVDが6~7百枚あります。子どもの頃に観ていたチャンバラ映画を含めれば、結構映画を観てきたのです。以前にある編集者から「黒澤明論を書かないか」とすすめられたことがあります。「僕が書くとひどいものになるよ」といったのを覚えています。その頃までにつくられた黒沢映画は全部観ていたのですが、天才的な監督であることは認めていても、私は黒沢映画に流れている思想が好きではありませんでした。「あの人の思想は西洋かぶれだから」と言ったのも覚えています。自立した個人が彼の理想なのです。それを見直すことができないままに、時代とずれていき、破滅していく。「どですかでん」はどうにもならないところにきていることを示していたような気がします。

 逆説的な意味で私の好きな哲学者にキェルケゴールがいます。19世紀の人で「死に至る病」が一番有名でしょうか。「死に至る病とは絶望のことである」から書き出されている本です。彼は人間は個人であることに固執しました。群れのなかで生きている「群衆」になることを拒否し、純粋な個人になりきるとき神と結ばれ自己が超越することにすべてをかけました。しかしその超越は実現せず、「のたれ死に」だけが待っていたのですが。

 ここまで自分を追い詰めた人、ということで私は好きなのです。しかし同時に彼をもって「個人」に理想を求めた時代は終わったとも思っています。そこに理想はありえないことを証明した、と言った方がよいかもしれません。

 私は戦後の近代化の雰囲気のなかで育ちましたが、それはまたこの雰囲気のなかに未来はないと感じて育ったということでもありました。ではどうしたらよいのか。その模索を続けている十代の頃に私を支えてくれていたのが竹内静子でした。18歳のときから一緒に暮らしていたのですが、昨年亡くなり、「お別れ会」には小栗さん、群馬県知事の小寺さんと、・・・ありがとうございました。

 私が上野村にはじめて訪れたのは20歳になって間がないころですが、ここでようやく自分の方向性をみつけだします。市民社会とか国民国家というヨーロッパ近代がつくりだした言葉ではなく、自然、風土、関係性、共同体、労働、といった言葉から未来をみる。

 知事の小寺さんに初めて会ったのは前橋の県民ホールでした。「地方自治法制定50周年記念」の講演を依頼されたのですが、そのときの私に与えられたテーマは「地方自治における自然の役割」というもので、このテーマで講演を頼みたいと言われたときは、絶句してしまいました。それまで考えたことがない難しいテーマでした。楽屋裏で小寺さんが「自治に自然が入らないのはおかしい。人間だけの自治ではいけない。だからその考え方を・・」と言っていたのを覚えています。

 国民文化祭の過程で小栗さんとご一緒し、多くの県民がここに結集し、文化、地域、風土、自然、労働と言った言葉を繰り返し使いながら、市民社会とは違う結びあう社会のあり方が、国民国家とは違う自分たちの世界のあり方が、行動をとおしてみえてきたと言う気がしたものです。その動きを支え続けてくれたのが小寺さんでした。だからこそ今度の選挙では自民党が離反したのでしょうけれど。

 すぐには返事を書けないかもしれませんが、寛容の精神でよろしくお願いします。小栗さんに教えてもらいながら、自分の考えを整理していってみようと思います。