2007年7月31日火曜日

内山 節様 <5>

 すっかりご無沙汰してしまいました。前回お手紙をいただいてから今日まで、群馬県知事選挙と参議院選挙の二つがありました。参議院選挙では自民党が大敗したにもかかわらず、そのわずか一週間前に行われた群馬県の知事選挙では、自民党公認候補に小寺さんが敗れてしまいました。群馬では参院選でも自民党候補が例外的に無風なまま小選挙区を制したのですから、群馬の保守王国は変わらなかったということでしょうか。しかし多少なりとも近くで小寺さんを見てきた私には、ただ単純にそう括ってしまってはなにもとらえたことにはならないと思っています。

 知事選は保守の分裂選挙だといわれました。問題はその保守の意味する中味です。国政選挙でも無党派層がこんなにもいるなどと、いかにも嘆かわしいことのようにいわれますが、どの党であれ、党員よりは党には属さない人々の方が圧倒的多数です。政党選挙でしか行えない国政の選挙では、そのつど、やむなく支持する政党を選択しているというのが実情ではないでしょうか。地方自治はかならずしもこうした仕組みに縛られるものではありません。むしろ国政とは異なる積み上げがあって初めて、地域の自治が成り立つはずです。もちろんその前提として形ばかりの分権ではなく、税の権限委譲を含めた制度変更が欠かせませんが、少なくても小寺さんは自治のあり方について模索をしつづけてきた人ではありました。そのことのじっさいを伝えられず、受け止められず、ただ保守の分裂というレベルでとらえられてしまったことに、敗因があったと私は考えています。多選批判があったことは事実ですが、そんなことは承知していたことで、他の候補を見ればもう一期、やらざるをえなかったことだけは明白だったのですから、残念です。

 国政で自民党が歴史的な大敗をしたとはいっても、つぎの時代に向けてあたらしい想像力が芽生えているようには思われません。暮らしにしても仕事にしても、政治がいつも上位の概念としてあるわけではありませんから、まだまだやれることはあるはずなのですが。