2007年6月8日金曜日

小栗康平様 <2>

 今回も返事が遅くなりました。このところ、困ったスケジュールなのです。
 竹内静子か゜亡くなったとき、私は、自然とともに暮らした日本の民衆の送り方ですべてをおこないたいと思いました。でもそれは難しいものですね。位牌は「竹内静子の精霊」としましたが、精霊とは肉体の制約から自由になった魂、という意味です。しかし、そもそも位牌とは鎌倉時代に臨済宗の中国から来た僧侶が持ち込んだもので、儒教の先祖供養を仏教に取り込んだものです。臨済禅は儒教色の強い仏教だと私は思っているのですが、この位牌が次第に広がり、江戸時代に一般化したのです。この過程では仏教が積極的に先祖供養をしていく変化があり、江戸時代に幕府の命令でつくられた寺檀制度がそれを後押ししました。幕府の基本思想は儒教ですから、家単位で民衆に先祖供養をさせようとしたのです。もっとも本来の儒教なら家ではなく、一族単位のはずですが。この過程でやはり江戸時代に次第に定着していったのが仏壇で、つまり位牌をつくり仏壇におさめるとい形式は古代からの民衆の供養の仕方ではないのです。そんなことを考えながらも、やはり位牌をつくりました。ただし魂は自然に還るのというのが、古代からの自然と共に生きてきた人々の思いですから、私自身もいつかは自然のなかに還っていくのだということを楽しみにしています。
 小学校を卒業する頃のことだと思いますが、ふと、自分が怖がっているのは死ぬことではなく、死ぬまで生きなければいけないことだと気がつきました。人間はどんなにむごたらしくも生きていくことができる。そのことが自分の生に責任を持てない自己を感じさせる。そこから泥沼の恐怖が出てくる。そんな感じです。
 実はそれが日本の民衆の伝統的な死生観でもあったのです。死の安堵感とは、むごたらしくなく生き、死を迎えることができたという安堵感でした。
 そこからみると松岡農相の自殺はみじめです。むごたらしく生きて、そのむごたらしささえ精算できない死に方をしているのですから。死者にムチをうたないというのは村に生きた人々のなかでのみ通用する発想で、なぜなら村では生きていただけで何らかの価値があったからです。ですから、誰であれ死んだら急に死者を追悼するというのは、日本の伝統的な作法ではありません。平安時代初期に編纂された民衆説話集『日本霊異記』を読むと、ともに村で生きた人でない限り、許されざることをした人は絶対に許さないというもうひとつの民衆の考え方がたくさん出てきます。とりわけ権力を持った人には厳しく、やはり平安時代には醍醐天皇が地獄に堕ちたという話が民衆のなかに広がったりもします。醍醐天皇が菅原道真を謀略にかけ死に追い込んだのは許されざることという話が伝わったからなのですが、権力維持のために悪事を働いたことに対してはことに厳しかったのです。
 日本の伝統的な発想はずいぶん誤解されているような気がします。阿部首相が「密葬」に参加できなかったと新聞は報じていましたが、「密葬」とは「ひそかに葬ること」であり、せいぜい近い親族だけでひそかにおこなう葬儀のことです。首相が行くような葬儀を密葬とは言いません。
 今日の日本の社会は一面ではずいぶん劣化しているような気がします。最近少しテレビを観て、日本のテレビはここまでひどくなっていたのかとびっくりしてしまいましたが、これも日本の一面なのでしょう。私たちはなんともむごたらしい社会をつくってしまったものです。この責任を誰がとるのか。私の責任の取り方とはどうすることなのか。真剣に考えてみたいと思います。